あえて辛いことをしよう、なぜなら幸せは相対的なものだから説

なおと海

幸せって、辛さがないと存在できないよね

というコトを、改めてボケーっと考えていました。「辛さと幸せ」って漢字的にも似てますが、やはり両者は、すごく関係が深いよなぁと思うんです。

幸せな気持ちは、辛い気持ち、辛い体験との比較で感じられるよなぁと思うんですが、例えば下記のような…

  • 痛い思いをすると、痛くない時の幸せが分かる
  • お金の不安があると、お金の不安がない時の幸せが分かる
  • 大切な人を失くすと、大切な人がいてくれた日常の幸せが分かる

辛いことがあって、相対的に、幸せが分かる。幸せオンリーって実は無理。ということが分かります。

その上でなんですけど、「なるべく幸せにいる為にはどうすりゃいいの?」っていうコトを考えてみまして、その結論、「勝手に辛さが来るのを待つんじゃなくて、自分から辛さに向かっていけば、幸せが更に増すんじゃないの?」という考えに至りましたので書いてみます。

自発的じゃない辛さは超辛い

例えば、放っておいたら太っちゃって辛いとか、勉強しなかったら色々上手くいかなくなって辛いとか、こういう辛さって、幸せを生みづらい辛さなんじゃないかなぁと思うんです。

自ら辛さに向かってったんじゃなくて、放置したり、ちょっとサボったり、なんかこう…自発的じゃない辛さですね。

こういう辛さは、悪い辛さ、と考えてもイイのかもしれません。望まない辛さ、マイナスの辛さ、無益な辛さ…時と場合によるとは思いますが。

自発的な辛さは幸せを生む

対して、トレーニング辛いとか、勉強辛い、練習辛い、好き放題食べないの辛い、片付け辛いとか、こういう「自発的な辛さ」、「進んで得る辛さ」は、瞬間的には辛いんですけど、幸せを生んでくれるものだと思うんです。

やってる時、もしくは、やり始める時は、やっぱり辛い。でも、やり終えたら、「よっしゃ!また人生に1プラスしてやったぜ!」という気持ちの面の幸せとか、「これで点数が1点上がったぜ!」みたいな実際の効果とか、まぁ色々得られますよね。

この辛いことをせずして、この幸福感を得ることは結構難しい。辛さあって、幸せあり。そんな部分がどうしてもあると思う訳です。

あえて辛いことに取り組むには?

辛いのは辛いことだから、誰しもやりたくない。しかし、やると幸せになる。さてどうするか。これは武井壮さん流の「最小努力」の考えが良いんじゃないかと思っております。

1分の努力とか、1回の努力とか、ホントに僅かな努力を、ガッと気合い入れてやる。超集中の1分。で、人間って始めちゃうともうちょっとやりたくなることが多いので、やりたければそのあともやる。とにかく、1分でもいいからやり始める。

すると、1分前の自分よりも、1分間全力で努力した自分が出来上がる!素敵じゃないですか!1分間でも新しい英単語8個に出会えることを、この前、計測しました。1分でも人は強くなる。1分間でも、かなり筋肉を追い込めますし!

あとは、1分間、身内に感謝を伝えるのもいいし、1分間、SNSで交流してくるのもいいし、1つだけ、自分の目標に関係するYoutube動画を見るのもいいし…色んなことができますね。

ダラダラしたい欲求としては、辛いことは何もせずに、適当にスマホゲーとかしてたくはなる。しかし、それは本当の辛さが手に入ってしまう。

自発的な辛さは、幸せを生んでくれる。どちらにせよ、幸せには辛さが必要なのなら、向こうから勝手にくる辛さじゃなくて、自分でコレだと選んで、自分で向かっていく辛さの方が、前向きな気持ちでいられるんじゃないか…そんな風に思うのでした。

今日も書いたなぁ!

ではまた♪