賞賛されるかどうか、お金がどうとかの世界からはなれると自由に活動できます(*ˊᵕˋ*)
制作欲前提の節約生活
一時、お金モードになりましたがボクの心は全然満たされませんでした。
やっぱりお金っていうのはただの手段なんですね。
手段が増えるのは嬉しいけど、ボクの活動ってそんなに手段がなくても出来ちゃいます。
だって、毎日練習して記録して結果発表するだけと言えばだけなんですから!
ただ、良いカメラだったり良い機材があれば、もしかしたらより賞賛されるかもしれません。
でも、そのために必要以上の労働をして練習時間も削って…賞賛されるかどうかは分かりませんじゃ困ったものです。笑
そんなことより、節約生活をして、自由時間を確保して、別に賞賛や過大な報酬がなくても生きていけるようにしてしまえば、あとは「美しいものを作る」ことだけ考えて生きてればいいわけですから、とても楽です(*ˊᵕˋ*)
今はそんなモードですね(*ˊᵕˋ*)
マルクスアウレリウスは言った
自省録で有名なマルクスアウレリウスの本から抜粋↓
「美しいものはみな、それ自体が美しい。賞賛しようがしまいが、それ自体で完結している。賞賛されたものは、それによってより悪くなることも、よりよくなることもない。これは、通俗的な意味で「美しい」とよばれているもの、たとえば、工芸品や美術品についてもあてはまると主張したい。ほんとうに美しいものは、ほかにはなにも必要としない。法律以上のものや、真実以上のもの、慈悲深さや謙虚さ以上のものも必要としない。賞賛されたから美しくなるもの、けなされたからダメになるものは、いまあげたもののなかにあるのだろうか? 賞賛されなければ、エメラルドは美しくならないというのだろうか? ゴールドは、象牙は、ムラサキガイは、竪琴は、短剣は、花は、樹木はどうだろうか?」
そのものが美しいかどうかは、賞賛されたかどうかと関係ないよね、という話をマルクスが遥か昔にしてくれました。
どうしても賞賛とお金が絡むと人は「本当の本当の本当のところ」を追求できないので、こういう考えを持つことがボクの中で今、重要視って感じです。
人生に自己満足できればOKな訳ですから、自分の感性を大事にしたいですね(*ˊᵕˋ*)
賞賛とお金を目的にするのはやめよう
「賞賛とお金を求めるのはやめて、お前の中にある本当に作りたいものをただ作れ。」
そう自分自身に伝え、またコツコツ活動していきます(*ˊᵕˋ*)
終わり!