環境が人生にもたらす影響力のヤバさ

元々、とある煌びやかな業界にいた人が色々なことを教えてくれた。

それは衝撃的な話だった。

 

その人はその業界で仕事をしてギャラをもらうわけだが、まずそのギャラの額が高い。

しかしソレはすごい仕事をやっているのだから、そりゃそうだと納得いくところだった。

驚いたのはそこからだ。

 

その仕事をやっていて、その業界を知っていて、何が上手くいって何がコケるのかはおおよそ分かるチカラがある上で、仕事の成果物に対して出資が可能なシステムだったのだ。

ほぼ勝ち確の投資をずっと繰り返し行えた。

そして増えたお金をまた投資に回せた。

なぜならギャラで生活は回るわけで、投資のお金に手をつける必要はないからだ。

 

毎年大きな複利が乗って増え続けるお金。

十分なギャラ。

仕事は時に超ハードではあるものの、様々な遊びを一通り体験できるそのチカラ。

そして、仕事を辞めたい時に辞めれてしまう自由。

どこに身を置いたかでそんな違いが生まれてしまうものかと驚いてしまった。

 

その方は元々、性格も含め、才能がおありだったろうと思う。(外見も超カッコいい)

ただ、その業界に身を置くまでは安月給で働いていて、お知り合いからの誘いで場所を変え、キラキラした状況を手にした。

なんというか、「そっか〜そういうものなのか〜」と思った。

 

ただ、その方にも悩みがあった。

ずっとエキサイティングではいられないらしく、お金は潤沢になっても仕事内容に飽きもでる。

重要な契約も交わしているので、サッとサヨナラというわけにもいかない。

また、一通り遊んでこられ、様々な国にも行きまくり、銃を向けられる経験もして、刺激的なことは大分減ったご様子。

 

いつぞやにサイバーの社長が、金を持つ前の感覚がある人が羨ましい的な話を確かしていたが、きっと本当にそういう感覚になるものなんだろうと感じた。

 

この話があって色々考えてみると、全てを得尽くすことはさほど重要じゃない、常に成長、上昇してく途中を過ごし、常に何かしらのワクワク、希望が胸にあることがきっと幸せにとって重要なのだ、と思えた。

もちろん全ては欲しいのだけど、得てしまえばそれは済んだものになってしまう。

まだ欲しいものがある、まだ読みたい本が、聞きたい曲が、買いたい服がある、その状態が素晴らしいのだな。