なぜ、良書は分厚くて読みにくい場合が多いのか?

 

20歳から本を読み始めて、現在33歳。

月に20冊以上読んできただろうことを考えると、年240冊×13年で、3000冊ほど。

でも流石にその計算は怪しくも感じるので、ここはグッと半分まで下げて、1500冊ほどとして、まぁ結構読んできた。

とにかく手当たり次第に読んだ時代から、熟読してみたり、少し離れてみたり、本を売りまくったり、色々してきた。

現在の結論は、

「良書を何回も読むべきだ。線を引いて、耳を折り、何度も読む価値がある本を買うべきだ。」

となっている。

 

この良書ってのが、大概、分厚い。

あと、読書に馴染みがないと読みにくい雰囲気がある。

字が太線になってる所も少ないし、あまり親切な感じではないかもしれない。

 

なぜ良書はこういう本が多いのかと考えてみた。

良書にも、薄い本にも、同じ結論が書いてあることも多い。

ただ、その結論に至るまでの過程、なぜこの結論なのかについての説明、深さが段違いだ。

そりゃ分厚くもなるし、読み手を読書が苦手な人と想定もしてないだろうから、書き方もまぁ、そうなってくるんだろう。

どうしても初心者向けに書こうとすれば、深い説明をしまくる訳にもいかないし、説明はパパっと終わらせる必要がある。

 

これを音楽でも考えてみた。

なぜ良曲が広く世間に受け入れられてない場合があるんだろう?

このベースを聴いてくれよ!エゲつないプレイヤーだぞこれは!とか、

うひぃー!聴いたか今のソロ!?気が狂ってるぜ!とか、

今微妙にここがこうなってたところがマジでヤバい!とか、

それはある程度楽器をやってないと楽しめない部分だったりするはずだ。

未経験者はそもそも、ベースってどの音?という感覚なのだ。

 

音楽人にとっての良曲や、読書家にとっての良書、その他なにごとにおいても、これが起きるんだろうなと思う。料理とかでも…物作りでも。

しかしビジネス的には大抵、たくさんの初心者さんが購入してくれることで売上がいっぱいになる、と思ってる。

言い方が悪いけど、アニメとかで「にわか」と言われるような、オタクたちからすれば浅い人達も、沢山いないときっと全然成り立たないはず。

 

書籍を作ろうとか曲を作っても、上級者しか理解できないものでは…成り立たないかもしれない。

たまに、レベル関係なく愛される作品もあって、それは本当にスゴいことだと思う。

上級者もうなる、しかし初級者の心も掴む、それって本当にスゴい。

 

話が逸れてったんだけど、良書が分厚くて読みにくい感じが多いのは、まぁそういうことかと思う。

でも本にも、読みやすいけどスゴい本ももちろんある。それは本当にスゴいことだ。

なんか締まりがないけど、今日はそんな感じ☺️