上原ひろみとはどんなピアニスト?経歴・名言・趣味やアルバムなどをまとめてみた

上原ひろみ かわいい

僕が大好きなジャズピアニスト「上原ひろみ」さんを全力でまとめてみました。

この記事が上原ひろみさんとの出会いになり、ファンになってくれたら嬉しいことこの上ありません!

上原ひろみさんの経歴

まずは色々と語る前に、僕がファンになったきっかけの曲である「Haze」をお聞き下さい。モデルの長谷川潤さんも思わず涙が出てしまう演奏です。

Hiromi – Haze w Jap TV interview

この映像「アナザースカイ」の時に僕は上原ひろみさんに出会い、全身鳥肌の衝撃を味わいました。なんて素晴らしい音楽なんだろうと全身が震えたのをよく覚えていて、今でも演奏を聞くと思い出します。

そんな上原ひろみさんの経歴は下記です。

  • 1979年3月26日、静岡県に生まれる。(2018年現在で年齢は39歳)
  • 6歳の時にピアノを始め、ヤマハ音楽教室でピアノを習いながら作曲も学ぶ。
  • 8歳でオスカー・ピーターソンやエロル・ガーナーにハマりジャズに熱中する。因みにジャズにハマったのはピアノの先生の家にジャズのレコードがあり、それを聞いたから。ここから即興演奏人生が始まり、与えられた課題曲も編曲し、他の楽器パートの譜面も全て作れるようになっていた。この時点で異様な才能を見せていた。
  • 14歳、チェコに行きフィルハーモニー管弦楽団と演奏
  • 15歳、NHKに出演して演奏
  • 16歳、静岡県立浜松北高校に入学。この当時、ロックなどもかなり聞きこんでいた。(今でも上原ひろみさんは激しい音楽などが大好きで聞いている)
  • ジャズの巨匠チック・コリアがコンサートをする際に居合わせ、「ピアノ弾けるの?」→「弾けます」→「ちょっと弾いてみてよ」という流れでチック・コリアにピアノを聞かせたところ、上原ひろみの才能を見ぬき、その日のコンサートで共演をすることになった。その際は同じ椅子に座り、一台のピアノを二人で弾くような形になったらしい。
  • 才能がどんどん開花していき、様々なコンサートに参加しながらCM曲を作曲するようになる。
  • 世界的なジュニアコンサートにも参加し、活動の幅が広がっていく中で、上原ひろみは音楽大学に進学せず、普通の大学(法政大学法学部)に進学。その理由は「音楽は音楽から生まれるんじゃないから、今のうちに出来るだけ色々なことに触れておこうと思った。今だ!って時が来たら音楽大学に留学しようと思った。」と語っている。凄い才能のピアニストだとその大学の学友達は分からないので、一緒にバンドやろうという話しになった友達(ベース)は散々練習させられ、一年も経つとほとんどの曲が弾けるという状態になった(と上原ひろみが笑いながら語っていた)。友達はある意味、酷い目にあったらしい。笑(今でも交流があるそうだ)
  • 20歳になった時にヤマハの支援制度で奨学金を得て、バークリー音楽大学に入学。ピアノの作編曲技術を学ぶべく作編曲科に入学し、首席で卒業した。(もちろんこれは快挙中の快挙だった)
  • バークリー卒業前に、ジャズの名門「テラーク・レコード」と契約し、デビューアルバムである「Another Mind」が発売し世界デビューを果たす。このアルバムは3人編成のピアノ・トリオとなっており、3人だけで奏でる音楽でどこまで聞かせられるかを追及したアルバムとなっている。このアルバム発売後は様々なジャズフェスに出演していった。
  • テレビに出演する機会も増える中、日本でも輝きだし、セカンドアルバム「Brain」もリリース。ジャズアルバムオブザイヤー受賞。
  • 2005年、活動拠点がボストンからニューヨークに移り、サードアルバムである「スパイラル」が発売。日本ジャズ賞を獲得。
  • 2006年、今でも交流の深いジャズピアニスト・シンガーの矢野顕子さんのアルバムに参加。
  • 2007年、アルバム「タイム・コントロール」を発売。同年9月、ファッションデザイナーとして有名なミハラヤスヒロさんと結婚する。
  • 2008年、チック・コリアとのアルバム「Duet:」を発売。その4ヶ月後にアルバム「ビヨンド・スタンダード」を発売。
  • 2009年、スタンリー・クラークとのアルバム「ジャズ・イン・ザ・ガーデン」が発売。また初めてのピアノソロアルバム「プレイス・トゥ・ビー」が発売。(プレイス・トゥ・ビー大好きです)
  • 2010年、プレイス・トゥ・ビーがアメリカジャズチャートで1位を記録。
  • 2011年、参加したアルバムがグラミー賞を獲得し、日本人初のジャズピアニストでグラミー賞を得ることになる。しかし、上原ひろみさん自身は「賞よりもライブがしたい!」という人で、実はグラミー賞受賞当日、芸能人の鶴瓶さんとライブをしていた。(笑っていいともにて、その話しを聞いたタモリさんが「俺なら受賞式に行くなぁ」と笑った)
  • 2011年3月、その後も長く交流することになるアンソニー・ジャクソンとサイモン・フィリップスとのトリオプロジェクトで、アルバム「ヴォイス」を発売。
  • 2012年、フジロックに出演。また、トリオプロジェクトで2作目となるアルバム「MOVE」を発売。
  • 2013年、MOVEがアメリカでも発売され、アメリカの権威あるジャズ専門誌「ダウン・ビート」の表紙を飾る。(これも快挙中の快挙で、日本人の表紙は33年ぶりだった)
  • 同年4月、ニューヨークのブルーノート(簡単に言ってしまうと歴史ある凄いライブハウス)で9年連続6日間講演を果たし、日本人初の偉業を達成する。
  • 2014年、トリオプロジェクトの3作目「ALVE」を発売。甲本ヒロト(ブルーハーツでお馴染み)やロバート・トゥルージロ(メタリカのベーシスト)などからの推薦コメントがあった。
  • 2016年、アルバム「SPARK」が全米ビルボートのジャズアルバム部門で1位、ジャズ総合で1位をとり、松居慶子さん以来二人目の快挙を達成する。

この経歴はウィキペディアで見られる内容ですが、所々足りないところや余計な所をつけ足しました。簡単に言えば、すんごいのです。

上原ひろみさんの変わってる所、面白い所!

上原ひろみさんの「食」が変わってる

僕が思う上原ひろみさんの変わってる所、面白い所は色々とあるのですが、まず「炭水化物」が好きで、「食べること」への集中力が半端ではないことが挙げられます。

上原ひろみさんは中でもラーメンが大好きで、矢野顕子さんとも「ラーメンな女たち」というピアノセッションアルバムを出しています。矢野顕子さんと共同で練習した後もラーメン「一風堂」を食べに行ってる姿がテレビで放映されましたね。

上原ひろみさん曰く、「ラーメンというこの一杯の丼の中で完結された世界観が好きで、ピアノと通じるところがある。ラーメン作りって一杯一杯が勝負なので、ピアノともこんな風に向き合いたい」などのことを言いながら、一言も発さずに黙々と集中してラーメンを食べていた。作った人に失礼だから、ちゃんと集中して食べているらしい。良い人です。

また、大学生の時にはこじんまりとしたラーメン屋さんでバイトをしており、テレビ撮影の時に超久しぶりにそのラーメン屋さんを訪問。当時の人がまだいて感激し抱き合っていた。当時の人曰く、やはり上原ひろみさんは変わっていて、アルバイトに来たのに「指を怪我出来ないから厨房には絶対に入れない」と言っていて「何言ってんだこの子」と思っていたらしい。笑

帰りにはよくお店の食べ物をもらって帰っていた思い出も話していた。そのシーンは下記動画の23分あたりにあります。

高校時代は問題児だった上原ひろみ

残念ながらYouTube動画は消えてしまったようですが、上原ひろみさんの高校時代が語られた動画があり、そこで「私は問題児だった」ことが明かされています。

問題児というのは悪い生徒ということではなく、全てをピアノに捧げていたせいで怪我の危険性がある体育は欠席。何から何までピアノに傾倒していたせいで問題行動になっていたということ。

また、通っていた高校には中央にグランドピアノが置いてあり、昼休みにはいつもそのグランドピアノを弾いて友達から感想を聞いていた。いつも即興演奏をしているので毎回感想に違いがあり、素人ならではの意見・感想はシンプルでストレートなので、それを聞いては試行錯誤を沢山繰り返していた。

上原ひろみの野望「おばぁちゃんになってもピアニスト」

柔らかい口調とは裏腹に心の奥底には野望がある上原ひろみさん。その内容は「おばぁちゃんになってもガガガーン!と凄い演奏をするピアニストになること」なのだとか。

上原ひろみさんは年輪を積み重ねていくような物事(落語や漫才なども大好き)を好み、ピアノにもそれがあるから、今の年代のベストをいつも尽くして、素晴らしいおばあちゃんピアニストになりたいとのこと。

もしピアノが弾けなくなったら?

上原ひろみさんは「もしピアノが弾けなくなったら何をしますか?」という質問に「スーパー旅行代理店をするかも笑」と答えました。

上原ひろみさんは年間100日以上、世界中を飛び回ってライブをしているせいで、客室乗務員さんよりも飛行機に乗っている可能性すらあります。(スーパーハードスケジュールです)

しかも、主要都市だけではなく、ちょっとした辺境だったり、危険性のある町に行って演奏することも多く、もはや旅人のような生活をしています。そもそも旅が好きみたいですね。

少し話しが逸れますが、現地に行って、現地の食べ物を食べ、現地を散歩して、現地を感じることでその日の即興演奏に生きてくるとのこと。

「音楽は音楽から作られるのではない」という言葉通り、様々な経験を音楽に昇華しているそうです。

上原ひろみさんの名言「気合い・努力・根性」

上原ひろみさんは信じられないくらいハードスケジュールをずっとずっとこなしています。その奥底には、上原ひろみさんの生き様をよく表した「気合い・努力・根性」があるそうです。

柔らかい口調、可愛らしい笑顔からは中々想像つかない発言ですが、内面的には非常に体育会系で、いつも気合いが入っている上原ひろみさん。

怒ったりするのはもちろん好きではないようですが、ライブ当日のスタッフに不備があったり、動きが悪ければ声を荒げることもあるそうです。それも全ては最高のライブの為に致し方なくするのだとか。全てを笑顔でやりたくても、そうはいかない現実があり、しかし最高のライブに対する思いは絶対で、その為なら何だってする方です。

他の名言としては「一歩一歩階段を登るように毎日毎日積み重ねていく」という言葉もあります。上原ひろみさんは、いきなりジャンプして到達するような事は何も無いと考えており、全て積み重ねて積み重ねて達成するものだと考える方です。

その末に、ご褒美タイムとしてライブがあり、そこで全てが報われ、喜びに包まれ、涙が溢れるようですね。

ライブは常に最初で最後の気持ちで

上原ひろみさんの衣装や髪型に対する想い

上原ひろみさんはいつも爆発したような髪型をしていますが、普段は普通におろしていて、Tシャツにジャージ姿で動き回っています。

上原ひろみさんは体も小さく、顔も穏やかなので最初はよく舐められていたのだとか。いざ演奏が始めればその凄さに圧倒されて雰囲気は覆るのですが、やはり外見も大切な部分。

そこであんなヘアスタイルになったそうです。因みに、メイクもヘアセットも自分でされていて、マネージャーはいません。飛行機のチケットの手配やスケジュール管理も全て自分。これは自分を甘やかさない為なのだそうです。

ですので、ライブ会場に行くのもいつも一人で行きます。凄い根性ですよね。

最後に

上原ひろみさんには、本当にお世話になっております。気合いいれたい時に上原ひろみさんに触れると、自然とやる気が湧いてきますね。癒される存在でありながら、引っ張ってくれる存在という感じです。

まだまだ書きたり無いので、この記事にはまた追記するでしょう。あれも知ってほしい、これも知って欲しいというのが色々あります。まだおすすめ曲とかも書いてないですし!(因みに、ピアノソロを好みます)

ではまた書きます!見ていただいてありがとうございました!是非聞いてみて下さいね!