最近は特に、「生ドラムを叩かなければ、生ドラムを…」と思っていた。
しかしボクは、ひきこもりな性質を持ち、コミュ障タイプであり、ド田舎に住んでいる訳でも防音室がある訳でもないから家で生ドラムを叩くことはできないのであり、「生ドラムを叩くのに適した環境にいる訳ではない人間」であることは分かっていた。
昔、ベース時代に一緒にやってたドラムの子は、1人は田舎に住んでいたので自宅で生ドラムが叩ける子だった。
もう一人は吹奏楽の部活動でドラムを叩いていたので、練習時間がたっぷりあった。その子たちには環境があった。
ボクにはその環境がなく、同じ勝負をすれば負ける…ということを、なぜか心の中で無視して、「生ドラムを叩かなければならない」といつからか考えていた。
それは「生ドラムじゃなきゃな」という空気感やコメントや、ボク自身も「生ドラムが本物なのである」という考えがあったから、自然とそう思っていた。
でもよくよく考えてみると、「別に電子でいいじゃん、生は生の世界でやっていればいいじゃん、こっちはこっちじゃん。」という考えが浮かんできた。
「バンドをやるなら生」というのはあるのかもしれないけど、それすらも電子でも出来るだろうと思う。
そこでの問題は「ウケるかどうか」なのだきっと。
皆も「やっぱ生でしょ」と現状は思っているから、生にせざるを得ないと感じる。
でも、本人がそれでもええねんと思ってるなら電子だっていいのだ。打ち込みバンドがあるくらいなのだから、なんの問題も無いのだ本当は。
ボクはひきこもり、いつもPCカタカタをして仕事をしてきた身で、かつ一人で楽しめるタイプだから、電子ドラムでの活動は相性が良い。
電子ドラマーとしては環境が整っているのだ。外で皆とやりたいという願望も他の人より薄いのもある。
ボクを活かす環境で戦い、ボクが活きない環境を避けることはとても大事だ。
そしてボクは生ドラムをやるのに適した環境にいないので、そっちに戦いにいってはいけなかったのだ。
自分の性格、育ってきた環境、現在の状況…それらを活かすことを考えなければならなかった。そんな学びがいきなり降ってきた。
そしてもう一点思うことがある…。それは、皆、誰かを自分のフィールドに引き込んで戦うことがあるということだ。
もしボクが生ドラマーだったら、電子ドラマーに対して「やっぱ生じゃないと」と言って、「生の戦い」に引き込む可能性がある。
すると当然、勝てる。なぜならそこは、こちらのフィールドなのだ。
もし電子ドラマーが未来に支配的になってたら、それは逆になる。
ボクの好きなドラマーさんが電子ドラムを叩く姿を何度か見たが、あまり輝いてはいなかった。電子ドラマーでは無かった様子だった。電子には電子の世界があるようにも思えた。
電子では叩き方のニュアンスの細かさ勝負などできなかったりと、生の人が輝く部分がほとんど殺される。違う戦いが起きる。そんな風に思えた。
…また明日!