「快楽適応」で僕達はまた不幸に戻る事が判明

これは「残酷すぎる成功法則」という、最近一押しの本に書いてあった話だ。

休暇中に喉を刺されたクレイダー

ティム・クレイダーという男が、休暇中に喉を刺されてしまった。

頸動脈から2ミリそれていたから助かったものの、もしズレていたら死んでいただろう事件だった。

それからの1年、彼は幸せだった。生きているだけで幸運だと感じられ、ネガティブなことが起きてもどうでもいいと思えた。

「これくらいなんだ!喉を刺された経験があるんだぞ!」といった感じだ。

快楽適応により快楽は長続きしない

しかし、ここで本題である「快楽適応」が出てくる。

快楽適応は文字通り、快楽状態に適応することを指す。

この場合、生きていることは当たり前って状態に戻ってしまったのだ。

彼はまた、些細なことにイライラするようになってしまった。

そこで、彼は毎年、「刺された記念日」を祝うことにした。幸運の確認を定期的に行い、思い出すようにしたのだ。

僕達の生活に適応させるには?

僕は、お腹が減らないとご飯が美味しくない論を大切にしている。

辛いこと、苦しいことが無いと、喜びも弱くなってしまうのだ。

映画で、辛いシーンのあとに感動シーンが来る、みたいな話だ。

快楽適応は、お腹の減りが無くなってしまったようなものだ。もう満たされてしまい、空腹感が無い。

でも、痛みのように思い出せるなら、今回の例のように祝うのもいいかもしれない。

僕もたまに、「人生で一番お腹が痛かった時」を思い出したりする。

すると、痛みの無い現在の体に幸せを感じられる。

これも、いつも何回もやると適応してしまって効果が無くなるから、時折が良い。

お腹を減らしてから、ご飯を食べる。

ちょっと辛いトレーニングをして、体力が増える。

快楽状態をキープし続けるのは、人間には合っていない。

僕達は、下がって上がってを繰り返しながら進む生き物のようなのだ。

上がる時は楽しく、下がる時は辛いけど、自然に下がるより、あえて自分から下がる分には苦痛も多少やわらぐ。

覚悟してからお腹にパンチされれば、多少耐えられるみたいなものだ。

「快楽適応」というシステムが僕たち人間にはある。

それを覚えておくだけで、「あれ?つまらなくなってきたな最近…」といった時に、「じゃあ一旦、下がらなきゃ!」と分かる。

前向きに、どんな風に下がるべきかは人により違う。

僕の場合、仕事量を増やすことかもしれないし、トレーニング、ご飯の量、トラウマへの抵抗、YouTubeで新しいことを試すなど、色々なことがありそう。

みずから下がって上がって、快楽適応での不幸を避ける。前向きに苦痛を選んで、幸せを感じる。お腹を減らして、ご飯を食べよう。