明日が楽しみな時、人生は良い状態

「人生の充実度、状態は寝起きの気分で分かる」

という一文を見た。

なるほど、確かにそうかもしれない。

朝、気持ちよく目覚めて、その日1日のスケジュールにワクワクしている時、不幸は感じない。

逆に、眠い目をこすりながら起きて、嫌なことを沢山しなければいけないと思いながら洗面所に向かう時、僕達は幸せを感じられない。

この「朝に人生の充実度が分かる説」は納得いったが、いや待て、前の晩にはもう分かってるな…と僕は考え直した。

おい自分。明日が楽しみか?

僕は自分に聞くようにして、いつも書いているスケッチブックに、

「おい自分。明日が楽しみか?」

と書いた。

明日1日を僕は想像した。

朝起きたらバナナと豆乳と小さなチーズを食べる。午前中に記事の執筆を終わらせて、昼からは動画作業をする。そのあと、YouTube撮影をして、時間が余るはずだから、遊んだり勉強したりする。

スケジュールには余裕を作るようにしてるから、切迫感は無い。

ただ少し、ちょっとピリッとする程度に、「記事を書くの、めんどいな…」という思いがある。

ガッツリある訳じゃない、ほんの少しだけ。

このタスクがもしなかったら、朝はかなり爽快なんだろうと思う。動画系の作業は何故か楽しく、あまりストレスを感じない。

「明日が楽しみか?」

と聞かれたら、

「ちょっと嫌な部分もあるけど、おおむね悪くない。楽しみな部分は少しだけある」

という答えになる。

ちょっと嫌な部分があるだけで、驚くほど期待感が下がる。

多分それがなければ、

「楽しみ!ワクワクするよ!」

って答えになる、気がする。

僕は嫌なことを少しだけし続ける

いつか、もし、嫌なことをしなくても良い状況になっても、「完全に安全安心」な状況になるまでは、嫌なことをし続けるんだと思う。

嫌なことは、つまり、誰かがやりたくないことを請け負っていることなのだ。

ただ、その分、安全度が高かったりする。

フリーランスになって、安全の大切さを知った。土台が揺らぐ恐怖を知った。

僕は冒険家になれない、無謀な旅は出来ないと分かった。

ただ、何のギャンブル性も無い人生はまっぴらごめんだから、最低限の安全を「ちょっとめんどくさい程度の仕事」て確保し、あとの自由時間で、理想へ近づく行動をしている。

安全確保のためにさける時間は、1日6時間が限度だ。8時間なんて絶対に嫌だ。6時間でも結構嫌なのに。

この時間をなるべく短く、1日2時間まで下げる計画を立てている。

僕はムダなお金を使わないマインドがあるから、実現不可能じゃない。

ただ、そこから先、よほどの状況にならない限りは、2時間以下にしないのではないかと思う。

僕がやらせてもらっている仕事の運営者さん。僕はその人と関わっていたい思いがある。

向こうはなんとも思ってないかもしれないが、僕は恩義を感じており、裏切りたくないのはもちろん、役に立ちたい思いがあるのだ。

また、誰かに少し寄りかかること(仕事をするということは、僕が本当は支える側なのかもしれないが)は精神的な安定をうむ気がする。

勘違いでしかないけれど、「嫌なことをちょっとやってる自分は頑張ってる、安心」なんて考えにも繋がる。

あまり合理的じゃないかもしれない。でも、今までの人生で、なぜかこの選択は間違ってない感があるのだ。

「明日が楽しみか?」

の答えは、いつまでも、

「ちょっとめんどくさい事もあるけど、まぁ悪くない。楽しみなこともあるよ。」

のままかもしれない。でも、それでいいような気がする。

とはいえ、完全に嫌なことが無くなる、そんな日々の可能性も捨てはしない。

毎日、最低限の安全を確保しながら、人生スロットにベットする。

人生は負け確実の台なんかじゃない。回し続ければ勝てる可能性が高い台だ。

明日が楽しみになってきた。明日も回してやるぞ。

おやすみなさい。