目標を持たない→過程の行動を楽しむことを目標とする、が良い説

なお

 

かつては「目標を持とう!」マンだったから、こうして今、「目標を持たない」という記事を書くことに面白さを感じる。

目標を持つべきだと考えていた。

目標はゴールであり、そこに幸せがあるという前提があった。

それを叶えると幸せで、それを叶えるまでの道のりは、相対的には不幸せ、みたいな考え方だったろうと思う。

 

それは、例えばスポーツでオリンピックに出れなければ不幸せである、みたいな考え方だ。

そうも考えられるし、その考え方が合う人もいるんだろうと思う。

ただ恐ろしいなと思うのは…

ゴールに辿りついて得られる幸せは一時で終わる

というコトだった。

 

33年間生きてきて、とっても嬉しい瞬間を経験したことが何度かある。

ゴールした瞬間はとてもとても嬉しい。

アドレナリンだかドーパミンだかが大解放され、パチンコの大当たりの台の如く出てくる。

イヤッホー!!!という感じだ。

 

しかし残念ながら、それは長続きしない。

一つのイベントごとで、ずっとドーパミンが出続ける訳は無いのだ。

 

不幸せな道をずっと頑張って歩んで、一時すごく喜んで、また目標に向かって辛く厳しい道のりを…

という生き方を、正直あんまりしたくないなと思った。

 

努力はしてもいい。行動もする。

ただ、ゴールに辿りつかないと幸せを感じられない、という努力はしたくなかった。

そこで、目標を持たないという考えになった。

 

目標を持たないと言いながら、目標は持つ。

達成できるかよく分からない目標を持たない、といった感じになったのだ。

 

例えばテレアポの仕事で、10件成約するという目標は叶うか叶わないか分からない。

しかし、今日100件かける、という目標は行動すれば叶えられる。確実に。

こういう目標設定をするようになった。

 

今ボクがやってるドラム1万時間チャレンジも、やれば叶う。

現在2165時間。毎日叶っていってる。

 

また、最近はトレーニングの方向性や英語勉強の方向性もこのように変えている。

叶うか叶わないか分からない目標は持たない。

持たないというか、願望はあるにしても、それを自分の中で設定しない、という感じだ。

 

トレーニングに関しては、最近になって総回数を数えるようになった。

1日何回じゃない。

人生で累計何回、腕立てをしたか、倒立腕立てをしたか、みたいな感じだ。

 

このやり方がすごくしっくりとキている理由は、ゴールしなくても楽しいからだ。

昨日は100回だったものが、今日頑張ると105回、110回になる。

昨日2000回だったものを、今日は2010回にしようとする。

増えていくのが楽しいのだ。

これが、

目標を持たない、過程の行動を楽しむことを目標とする

という今のボクのスタイルだ。

 

結果どうなるかは知らない。

知らないけれど、良い行動を積み重ねているのは間違いない。

良い行動を積み重ねて悪い結果が起きる、ということは中々考えづらい。

少なくとも何かしらの良いことがあるだろうと思う。

もし想像以上になくても、とりあえず毎日楽しく感じられるというのは良いことだ。

 

そして面白いことがある。

目標を持って苦痛でも頑張ろうとしてた時は、すぐにエネルギーが切れて悩んで苦しんでいた。

今の方がよほどエネルギーが持つのだ。

結果的に、行動力が高まっているのだ。

そりゃそうだ。苦しむほど行動するのは大変なのだから。

 

何事も人によるから、これが絶対に良いってことは無いと思う。

合うか合わないかの問題だ。

目標を持って頑張る、を何度やってみても上手くいかなかった…

そんな人は、こっち派なんじゃないのと思うのだ。

 

ではまた!