「決める」を「結婚する」という感覚で行うと良いんじゃないか説

机と本

 

毎日毎日、何かしらの「意思決定」をして生きてますが、「決めたのにブレたこと」が山ほどあるのです。

服装の方向性、人生の方向性、食事の…人間関係の…もうホントに無数にあります。

 

別に変更したって良いのですが、問題は「方向性がフラつくとエネルギーがムダになりまくる」ことなのです。

結局のところ正解などなく、どの方向も間違ってなかったりする(場合によるとは思う)と考えると、大事なのは「一貫性」であると思うのです。

 

じゃあ一貫性を保つにはどうするか?

それは「決める」という行為を「結婚する」という感覚と同じで扱えばいいんじゃないか?という説が浮かびました。

 

結婚するとなれば、今後のことをよく考えますし、一生寄り添う覚悟ももちます。

ちょっとトラブルがあったくらいでお別れなんてことはしませんし、その方向の中でなるべく良く生きられるように努めます。

この感じを「決める」ことに使えるのではないか?と思ったのです。

 

ボクはビーフィーTという白無地シャツを愛しているのですが、「お付き合いしている」程度で「結婚している」みたいな感じではありませんでした。

でももう結婚しても良いと思うぐらい愛しています。

靴はまだフラフラとしていて、頻繁に彼女を変えているような状態。

ドラムとはそろそろ、結婚を考えても良いのかもしれません。

 

また、これから付き合う物事についても、とりあえず最初はジャブ程度にお付き合いはして、しかしどこかで結婚を考えておく。

どの物事と一生付き合っていくか?

決める時に、この結婚のような覚悟があっていいように最近思うのでした。

 

もちろん、「離婚」も選択肢としてはアリです。

ですが、離婚は色々なダメージがあります。なるべくしたくないコトです。(経験者)

だからこそ、結婚には強制力があり、一貫性を保たせるチカラがあります。そう簡単に離婚を選べないからです。

 

これで行くぞ!と決める、それを結婚のように選択する。

結婚するのだから、決める前にはよーくよーく考える。

本当に大丈夫か?本当に後悔しないか?本当に本当に良いのか?

あらゆる可能性を考えられる限り考えて、計画を立てて、

「間違いない。この選択肢で間違いなく間違いない!」

と心の底から確信する。

それだけの準備をして、決めて、あとはただ突き進む。

 

これが良いのではないか?と思ったのでした。

それではまた(*ˊᵕˋ*)