僕らがいつまでも働き続けている理由

興味深い文章を見つけた。

そう、まさにコレなのだ。

ボクらの生活は、かつてのお殿様よりも良い生活だ。お殿様はエアコンも使ったことがないし、ポテチもコーラも口にしたことがない。

しかし、ボクたちは中々幸せにならない。最初は幸せに感じても、その状態に慣れてしまうのだ。宝くじが当たった人も、しばらく経つと慣れるらしい、それと同じなんだろう。

つまり、慣れた状態を良しと出来たなら、ボクたちの無限の労働は終わりを迎えるかもしれない、ということ。

むしろ、生活水準を「本来必要なレベル」まで落とせたなら、労働時間は恐ろしく減る。

現に、ボクは「車やオシャレ、いつでも美味しいものを食べる」などを捨てた為に、楽な生活が出来ている。

それが不幸せかと言うと、全然そんなことはない。むしろ幸せを感じている。

無限に欲があると、いつまでも不足状態だ。どこかで止まってしまえば、「足りてる状態」になれるわけだ。

いつか、もっと必要労働量が減る時代が来るかもしれない。それは素晴らしい未来だ。

それでもボクたちは幸せを感じていないかもしれない。洗濯機のお陰で洗濯の手間が省けたのに、幸せそうな人が少ないから、そう思う。

これつまり、マキシマイザーとサティスファイザーの話なんだと思う。

マキシマイザーは最大化させたい人、サティスファイザーは「まぁこれくらいでええやろ」の人。

時間が余ったから、更に幸せになる為にアレコレ…それが充実する内容なら問題無いが、嫌な労働に使ってしまうなら微妙なとこだ。

なぜ嫌な労働に時間を使うのか?それはやっぱり、何か欲しいからなんだろう。

服や車といったアイテムか、旅行費か、イベント代かは分からないが…とにかく何か欲しいんだろう。

物は無限に存在してて、どんどん「さらにいいモノ」が発売されるから、これもまた、いつまで経っても終わりがない。ずっと欲しいモノは存在し続ける。

それが「自分の大好きなもの」なら幸せに繋がりそうだ。しかし、「誰かに良く見られるためのもの」は不幸に繋がるように思う。

結論。ボクたちがいつまでも働いている理由は、「足るを知らない」、「モノの魅力に踊らされている」、「底無しの「誰かからの評価」を求めている」、この3つじゃないかと思う。

働くのが好きならそれでもいい。働きたくないなら、この3つへの対策を打つといいだろうと思う。

生活水準を下げ、モノで幸せになろうとせず、他者からの評価をなるべく捨てる。

ちなみに、他者からの評価を捨てないと、生活水準を下げるのも、モノを買わないことも出来ない。

なぜなら、他者は「生活水準ひくい!」とか、「アレも持ってないの?」と言ってくるからだ。

こう言われたくない、見下されたくないと思ってしまうと、生活水準は下げられない。すると、いつまでも嫌な労働がつきまとう。

つまり、大抵の場合は「他者からの評価を捨てること」から始めればいいんだろう。

そして、「自分の中に価値の軸を持つ」ことも大切になる。自分の中に価値の軸が無いと、誰かに「それは価値が無いよ!」と言われた時に「そうなのかな…」と思うかもしれないからだ。

ボクは「嫌な労働をするくらいなら、節約生活をして、好きなことで生きていった方が良い」という考えの軸がある。そうしてから幸せを感じられるようになったから、これは誰に否定されても絶対にブレないだろうと思う。

だから、ボクの生活を誰かが笑っても(笑われたことは沢山ある)気にしない。気にしないから続けられる。そして、笑った人からは離れる。価値観が違う人と一緒に過ごさない、多数の人と関わらないのもボクの軸だ。

「いつまでも嫌な仕事をする人生は嫌だな…」と思ってる方の参考になる部分があれば幸い。他者からの評価を捨てる所から自分の人生が始まる可能性は高い。