「今を生きる」の対抗馬「明日を良くする」を考えた

今を生きましょうとよく言われますが、今を生きた結果、目先の快楽に溺れて太ってしまったり、トラブルを起こしてしまったりして、明日の自分が苦しむ状況を作ると言う事はよくあると思います

僕も一時期、今を生きたら良さそうだと思っていたのですが、どう考えても、今ばかり大切にしていると、「明日の自分が体験する明日の自分にとっての今」が悪くなることが多すぎるなぁと思っていました

そこで考えついたのが「明日を生きる」と言うワードでした

明日の自分がより良くなっている、より嬉しい気持ちになっている、より楽しい気持ちになる

そんな行動を、今の自分がとっていくと言うスタンスです

何か食べるにしても、明日の自分はどうか?

何かを買うにしても、明日の自分にとってそれはどうか?

を考えてみるわけです

例えばコーラを飲みたいとしても、明日の自分にとってコーラが良くないとしたら、少し我慢をするわけですが、それは明日の自分になったときに、昨日の自分に感謝するはずの行動です

それでは今日、今の自分は犠牲になってしまうじゃないか!と言う事なんですけど、

今を優先するほどに明日の自分を犠牲にすることになるので、どちらを犠牲にするか?でしかないと思うわけです

じゃあどっちでもいいのか?と言うと、やはり今を犠牲にして明日の自分を良くしたほうがいいんじゃないかと思っているのですが、その理由の1つとして、「明日の自分にとって良いことをした!」と言う気持ちが今日の自分の自信になる、つまり我慢はしたけど、その我慢が喜びとして感じられると言うところに、明日辛い思いをすることよりもメリットがあると思うのです

これが1年後の自分、5年後の自分、10年後の自分となると遠すぎてよくわからなくなってしまい我慢したくなくなりますが、明日の自分にとってどうかと言う、今ほど近くはないけれど1年後ほど遠くもない、ある意味目先の自分にとっての良い事をするというのがポイントかなと考えました

ただ明日を生きるといっても、明日を本当に生きることは今日の自分にはできませんので、「明日を良くする」と言うワードが良さそうです

今日を生きることも1つのスタンスですが、明日を良くすると言うスタンスも良いのではないか、ということを書いておきたいと思います

おわり!